シモン鍼灸院ができるまで
ここでは、当院を開くに至った経緯について、院長・薄井詩文(うすい しもん)の歩みをお伝えします。
医療の家に育つ

私は、中国の医療一家に生まれ、10歳までを過ごしました。祖父母は小児科医、母は中医師、叔父叔母も医師という環境で、医療はいつも生活のすぐそばにありました。
10歳で来日したあと、母が自宅で開業した鍼灸院では、患者さまが笑顔で「楽になったよ、ありがとう」と帰っていく姿を、毎日のように見ていました。
技術だけではなく、一人ひとりと向き合い、信頼される母の姿を、幼い頃から「かっこいい」と感じていました。
「自分の技術で、自立した女性になりたい」——その想いが、のちの道の原点になっています。
鍼灸師という道を選んだ決意

高校時代、内向的だった自分を変えたい一心で、アメリカへ1年間留学しました。
親元を離れて一人で生活するうちに、かえって母の仕事のすごさや、ありがたみを強く感じるようになりました。
会社員として働くよりも、手に職を持ち、女性として将来のライフステージに合わせて時間を使える働き方に魅力を感じ、幼い頃から見てきた母と同じ鍼灸師の道へ進むことを決めました。
父を失い、自分の道に迷った日々
専門学2年生のとき、父が胃がんで他界しました。人生でいちばん辛い時期でした。
資格を取ったあとも、現実は厳しく、「資格があるだけでは、患者さまを救えない」と痛感しました。
日本の鍼灸の現場は思ったより狭く、経験を積む場所も少ない。焦りと不安のなか、「この仕事を選んで正解だったのか」と、何度も自問自答する日々が続きました。
本場・中国へ。数々の症例に触れ知見と腕を磨く日々

不安を乗り越えるため、卒業後すぐに本場・中国の病院へ渡り、半年間にわたり研修しました。
遼寧中医薬大学付属病院、錦州市中医医院—1日100症例を扱う現場で、日本では考えられないほどの数の症例に触れ、臨床家としての土台を築きました。
帰国後も満足することなく、鍼灸師がいない整骨院や整形外科など、いろいろな現場に身を置き、ゼロから道を切り拓く経験を重ねました。
つらいときは、母のアドバイスが支えになりました。

愚直に臨床を重ねるうちに技術は伸び、患者さまの話に深く耳を傾ける「寄り添う」ことの大切さに気づき、仕事へのやりがいを取り戻していきました。
大きな転機は、中国人の院長が営む漢方鍼灸院との出会いでした。妊活鍼灸や筋膜ナイフなど新しい技術を学び、60分じっくり患者さまと向き合う—私が理想とする治療の形が、ここで確立されました。
患者さまが返してくれた、治療家としての自信

不妊治療に心身ともに疲れた40代の女性の方に寄り添い、自然妊娠へと導いた経験。
原因不明の頑固な首肩こりに悩む50代の男性の方と、時間をかけて信頼関係を築き、症状を改善できた経験。
延べ12,000人の臨床と、9年の現場を得て、技術だけでなく、話を聞くこと、寄り添うことこそが本当の改善につながると感じました。
千葉県・我孫子に、「駆け込み寺」のような鍼灸院を

妊活や不妊治療で心がすり減っている方、病院に行っても原因が分からず途方に暮れている方の力になりたい。
駅から少し離れた住宅地だからこそ、地域の方に深く愛され、「何か困ったことがあったら、あの先生に相談しよう」と思っていただける場所をつくりたい。
それが、シモン鍼灸院という名前で、当院を開業した理由です。
シモン鍼灸院に込めた想い
- 女性の「つらい」を「えがお」に変える場所でありたい
- 本場・中国で学んだ技術と、母から受け継いだ東洋医学
- 一人ひとりに寄り添う、完全オーダーメイドの鍼灸
- 地域の「駆け込み寺」のような、温かい鍼灸院
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
少しでもお話を聞いてみたい、相談してみたいと思っていただけたら、お気軽にご連絡ください。
あなたのご来院を、心よりお待ちしております。
院長 薄井 詩文(うすい しもん)